伊藤智仁、元ヤクルトスワローズ・投手。
高速スライダーという武器を携え、デビューからまもなく圧巻のピッチングを披露。
その後の長い間怪我との闘いでかつての輝きを取り戻せないまま現役を引退するまでのストーリーは、昔からのプロ野球ファンにはもはや伝説となっています。
幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生は伊藤智仁投手のこれまでの人生が克明に記された書籍。
そういえばこれまで伊藤智仁のストーリーが書籍になっているのを見たことがなかったな、と思っていたら、この書籍は編集者さんの熱意と著者の長谷川晶一さんに対する伊藤さんの信頼の賜物だというではないですか。
今回もありがたいことにインプレス社より献本いただきました。
伊藤智仁投手の大ファンです
伊藤投手の入団当時は、どちらかといえば西武ライオンズのファンだった私。
ドラフト前に指名競合が確実の伊藤投手をなんとなく注目していたら、もうひとつ好きな球団のヤクルトがくじを引き当てました。
新人でも物怖じしないピッチングも好きでしたが、TVの取材やインタビュー記事から伝わる伊藤投手の優しそうなのにちょっとだけとぼけたキャラクターにもどんどん魅了されていきました。
どうしても生で伊藤投手を観たくて平日ナイターに埼玉の田舎から神宮球場に観戦に行ったり、ファンレターを送ったり。ミーハーそのもので追いかけていましたね。。
伊藤投手は投げても投げても打たれない。でもなぜか援護に恵まれないことが多かったんです。
延長12回を1人で投げきっても勝てず、ずっと0で抑えてきたのに最終回に逆転ホームランを打たれて負け投手になってしまうなんてことも。
第1章、2章、5章で語られるている1993年のキャンプから一軍鮮烈デビューの軌跡は、当時のファン感情が鮮明に呼び起こされて胸が熱くなりました。
しかしデビューからわずか2ヶ月ほど経過した頃、伊藤投手は短い登板間隔の酷使がたたって右ひじの違和感により戦列を離れてしまいます。
復帰はいつかと心待ちにしていましたが残りのシーズン、その翌年、また翌年と一向に一軍復帰の報は届きませんでした。
怪我をしてからが本当の闘いだった
伊藤投手のその後はほとんど報道されなくなり、よく知る術もない状態。
多感な時期を過ごしていた私の興味もいつしか野球からも離れてしまい、伊藤投手のことを追いかけることはなくなっていました。
右ひじの違和感からやがて肩を故障し再びボールを握れるようになるまで実に2年以上。長いリハビリ生活で度重なる怪我と向き合う伊藤投手の姿はこの本からはじめて知ることばかり。
96年に復帰登板、97年にカムバック賞を獲ってから2003年に現役引退までの道のりは、再び怪我で振り出しに戻ってからの答えの見つからない闘い。
特に肩の血行障害手術をしたあたりの試行錯誤は、事実だけ知ってる想像をはるかに超えるつらさでした。
あんなすごい才能を持っている投手なのに何をしても再生することができない・・・。
読んでいて悔しくてたまらなかったです。デビュー時のまばゆいほどの輝きを知っているから。
仕事人生にも通じる学び
もう昔のように投げることができない事実を受け止めてから伊藤投手は自分のコンディションに「異常の正常」を求める日々でした。
サラリーマンでも、長く仕事を続けていると「もう思うように働けないかもしれない」と思う時ってありませんか。
私の大好きな伊藤智仁投手は、復帰の望みを何度も絶たれてもまたマウンドで投げる、それだけのために燃え尽きるまで模索した。
仕事がうまくいかなくて途方に暮れてしまうような時には、私は怪我や病気で仕事ができなくなったわけではないんだから可能性があるうちは諦めないでがんばろう、と大きな勇気をもらえました。
伊藤投手の人生からは、年齢を重ねて大人になったいまだからこそ味わい深く学べることがたくさんありました。
人生に挫折のある人に響く伊藤本、熱烈に一読をおすすめします。
Webサイト編集、フリーライター。遠征先でご当地グルメを堪能しているときが一番しあわせ。→[詳細プロフィール]
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